どうも私の文章は論文調になろうとする。
まずは概要を説明して、実情を理解してもらう。
次に、こんな実験をしただの、調査をしただのと、結果を報告する。
最後にまとめとしての考察や提言を述べる。
今回のあぜ道の話も、そんな雰囲気になろうとしている。
過去ログを読んでみてつくづくそう感じております。
最後は、行政とか農業団体とか、一部の農家をぶった切ってしまう。
さてさて本題のあぜ道だが、その前に。
話は古いが昭和30年代は、あぜ道の草は農家が鎌でしゃがんで刈っていた。
しゃがむというより両膝をついて刈っていたもんだ。
刈った草は天秤棒や一輪車で家に持ち帰り、干し草にしていた。
むろん役牛の冬の餌である。その匂いは今もしっかり覚えている。
私も中一の時には山羊を飼っていた。その時食べる草と、干し草にする
草を自分の責任として刈り集めていた。
草の中には自然がいっぱいで、カエルや虫もいるし蛇もよくいた。
刈り取り作業が人力でゆっくりしているから、動物たちはわけなく逃げた。
やがてエンジンの付いた刈り払い機が出現。楽になったとみんな使った。
このころからあぜ道に住む生き物たちは生きにくくなってきた。
カエルは小さいから気づいてピョンと逃げればいいのだが、蛇は頭部から
動き始める。後ろ半分やしっぽが退避する前に刈り刃が当たってしまう。
自然界ではわずかな傷でも化膿して命を落とす。
そんなわけで、あぜ道は動物にとっては快適な場所とは言えなくなった。
でも、水を張った田んぼには住めない動物たちにとっては大事な場所だ。
そのあぜ道が、カエル一匹も許さない状態になってきている。
そんな状態こそよく管理されたあぜ道、という常識さえ生まれつつある。
やっと今回の本題が見えてきた。ごたくの長いこと!!
今夜もごたくで終わっちまった。
最後の詰めは次回の心なのだ。
多くの農家や関係者をぶった切らないと、このテーマは終わらないからな。