農家の庭の続きです。
まずは前回の補充を。
山里は竹や枝など資材があるので、ハザ掛けで干していたようですが
当地は広い平野のど真ん中。チャンバラの竹にも不便していました。
稲株は20株ほどをまとめて田んぼで小さく積み重ね、荒乾燥させます。
それを稲わらで縛って一か所に集めて石油発動機で脱穀します。
筵を縫って作った「カマス」に入れた籾は川舟や木製一輪車で家に持ち
帰ります。それを家の庭で乾燥させたのです。
麦わらで作ったゴザという表現をしましたが、ゴザではなく菰です。
筵の上に広げた籾は、まんべんなく乾かすために昼に反転させます。
両親や祖父母は田んぼに出ていますから、昼時間にこの作業を
子供がすればたいそう喜ばれたものでした。
籾が乾いたかどうかの判断はひたすら手触り感と音でした。
手の中で揉むようにするときの手触りと出る音で判断していました。
いまでも種籾を天日乾燥したときには、手触りと音で判断します。
全てが数値管理される昨今、五感で判断する技術も大切です。
そんなわけで平野部の農家には広い庭があるというお話でした。
あのね、お金があるから広い庭があるんじゃないよ。生活は貧しかった。
やがて乾燥が終わると、その庭で籾摺りしていました。12月でした。
大きな籾摺り機に車輪を付けたものを曳いてやってきました。
大きな石油発動機にも車輪を付けておじいさんが曳いてきました。
庭で組み立てて家族総出で籾摺りです。
発動機をかけるときは一人がハンドルを回し、もう一人は平ベルトを
引っ張って補助していたのです。
子供の仕事は籾を桶にすくって籾摺り機のホッパーに入れることです。
この作業を籾打ちと呼びます。
祖父の仕事はもみ殻を運んで専用の部屋に入れること。
薪のない地方ではかまどで年中使う燃料なのです。
父は米選機(ピアノ線を張ったグレーダー)から落ちる米を、一斗桶で
量って俵に入れることでした。この桶は今も保存しています。
後日斤量で計ってから口を閉じていました。
(斤量:わかりますか?分銅で質量を計れる道具)
70歳以上の農家には懐かしい話となりました。