雛飾りの風習が始まってから終戦直後まではこうだった。
それがいつしかこんなことになってしまった。
お内裏様(天皇)とお雛様(后)の位置が入れ替わっています。
戦後どうしてこんなことになったか、誰か知っていないかな?
男尊女卑はよくないことだから逆にしたのか?それともレディー
ファーストの思想を取り入れたのか?進駐軍が決めたのか?
昔の宮中では序列が重んじられたことは誰にでも理解できます。
会議での席も当然決まりがあって、座る場所は決まっている。
その一端をご紹介しよう。
お雛様を例にとると、
我々から見た時の右側と左側。高位な人が右側に立ちます。
だから昔の雛飾りはお内裏様が右側にいます。至極当然なこと。
記念写真を撮ることになって右大臣が割り込んだとしよう。
3人だから中央と右側と左側に立つことになります。
天皇は中央に立ち、后が右側に立ち、右大臣は左側になります。
もう一歩踏み込んでみます。
この3人に左大臣も加わったとしよう。
4人だから右側に2人、左側に2人並ぶことになる。
右側が高位の人の席ですが、中央線に近い位置のほうが上になる。
この場合の4人を並べるとこうなります。
右側の中央寄りに天皇、左側の中央寄りに后。
位が上の左大臣は天皇の立つ右側の外に立ちます。
右大臣はお后の外に立つことになります。
これで天皇ーお后ー左大臣ー右大臣の順に立って撮影できます。
これ以上はなすと話しがますますややこしくなるけど、あとひとつ。
中央に立った天皇から見て左側、すなわち我々から見ると右側。
この部分を左側(さそくと読む)と呼びます。
当然反対側は右側(うそく)と呼びます。我々が見るのとは逆です。
さそくに立つ大臣は左大臣、うそくに立つ大臣は右大臣となります。
だから左大臣のほうが位は上になるのです。
今日の話、ややこしかったけどわかってくれたかしら?
私がタイムマシンで平安時代の帝に会うとします。
天皇の正面に立ち、前に進もうとするとき、下位の位置にある左足から
前に進みます。会見が終わって下がる時には。上位の側にある右足
から後ずさりするのです。
今に言う謙譲の気持ちを動作に表しています。
これを間違うと、世が世なら首が飛ぶかもしれない。
今夜のお勉強会、たまにはこんなのもいいでしょう。